田口和寿の歴史 田口和寿の歴史 田口和寿の歴史
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田口和寿の歴史

私は生まれた時から祖父・父の影響でお菓子な世界にひたっていました。


そのため『おじいちゃん・おとうちゃんみたいな職人になりたい』とずっと思い子供時代を過ごして来ましたが、それがいつしか 『おじいちゃん・おやじを越したお菓子を作りお客様にご満足頂けるような会社を作りたい』に 変化しはじめ、18歳の時には、東京の地へ降り立っていました。
NYでの住まい   私の第1ステージは、東京赤坂。
老舗菓子店に追い回しという立場で入った時は、自分のやんちゃなキモチを抑えられず、先輩に反抗しよく殴られました(笑)尊敬する先輩に『毎日が戦争や!死ぬ気で5年がんばってみろ!』激務の連続で血を吐いて救急車で運ばれた事もありました。 先輩に誉められ25歳で泣いた事もありました。 包丁が恋人のようで一緒に寝ることもありました。5年後、先輩は私が次のステージを求めてニューヨークへ行く事をこころよく見送ってくれました。
マンハッタン   第2ステージは、ニューヨークマンハッタン。
誰も知らない土地で死に物狂いで、自分を使ってくれるお店を探す毎日。
1ドルを稼ぐのにどれだけたいへんなのか?を痛いほど痛感した時期でもある。
この時も菓子のおかげで世界各国のパティチエや友人と知り合う事ができ今まで未開拓のイメージを磨く事ができたと今思う。
           

第3ステージは、東京でなく故郷中津川。
東京〜ニューヨークを最先端の時が過ぎ去るステージを走ってきてふっと立ち止まると、なぜか?故郷で勝負して成功したくなる自分がいた。帰国後、まっさきに、shinkinedo.inc を立ち上げる。私をそこまで引き付ける菓子と出会い、菓子を作る事で、生き生きとした自分を見い出すことが出来たと、本当に菓子というものに感謝しています。自分の抑えられないほど高まる五感を総動員できる菓子は、これからも私を夢中にさせてくれるに違いないと信じています。

初めてご注文頂くまでの大きな幸苦も、そんな自分がいたから家族や友人の不安とは別に何か至福の何かへ向かうような力が体にみなぎって、いまだにそうですが毎日眠れず徹夜ばかりしていたのを覚えています。

自分が生きている価値を、自分達の作った会社の中でいや仕事のなかで見い出せる、こんな幸せなことはないと思うんです。スタッフひとりひとりが生き生きと輝くことの出来る私ども独自のスタイルが、ネット上のお店や、実在する本店・・・そこにいらっしゃるお客様が求めるサービスそして快適さを演出してゆけば、ご満足頂けるんじゃないか?

そう信じ、スタッフ全員、常に士気を高めながら追い求める所でもあります。

           

私どものスタッフ平均年齢は25才。
普通では、若造が!とお叱りを受けてしまいそうなとても考えられない若者の集団です。でも、若造の集団があるがゆえ怖いもの知らずでドンドン驀進いたします。これこそ、私どもだけに神様から与えられたアドバンテージかもしれません。
それゆえ甘えるつもりは毛頭ありませんが、何分にも私をはじめ若輩の集まりでございます。お客様、メディア関係者様、先輩、私どもをお支え頂いている方々のお力を強力な勇気に変えて突き進んでまいります。

  NYで波乗り!
第4ステージは、2004年本社・新工場移転です。
お客様に安全で安心な美味しいお菓子を、万全のサポート体制で少しでも早く直送する・・・そんなあたり前の事を実現するために一歩前へ踏み出しお客様のお声を改善へ向けてよりご満足頂ける究極を目指してゆきます。 これからもますます愛されるようなお菓子・会社を作り上げる事が私の使命であり、夢でもございます。


これからも変わらず末永くご指導賜わりますようお願い申し上げます。
人ごみの中を突き進む!
新杵堂 代表取締役
 代表 田口和寿

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